「佐市の佃煮」本店 秋田・八郎湖の老舗佃煮屋/八郎湖と佃煮/潟上市昭和地区で八郎潟干拓
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八郎潟干拓の歴史
オランダの干拓専門家ヤンセン教授や、世界銀行調査団が現地調査した結果、干拓事業の有用性が認められた。
昭和31年に農林省は「オランダ対外技術援助機関」と技術契約を結んで、干拓の青写真を完成、昭和32年から「世紀の国造り」といわれる干拓事業がスタートした。
湖底を干し上げて新しい農地を作り、理想的な近代農村を建設して年間約5万8千トンの米を増産しようというものだ。
このため、面積22,200ヘクタールある八郎潟の面積の約3分の2に当たる17,200ヘクタールの干拓工事が進められていった。
写真集 潟の記憶 著者 川辺 信康 発行 秋田魁新報社より
八郎潟の面積
干拓前 22,024ha
干拓後 4.064ha